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大阪高等裁判所 昭和30年(ネ)51号 判決 1960年1月21日

控訴人(原告) 株式会社 淀川製鋼所

被控訴人(被告) 大阪府地方労働委員会

主文

原判決を左のとおり変更する。

申立人小林治雄ほか三名被申立人株式会社淀川製鋼所間の大阪府地方労働委員会昭和二七年(不)第二六号不当労働行為救済命令申立事件につき、被控訴委員会が昭和二八年四月一日発した命令中、小林治雄に関する部分及び土井政一に対して同人の解雇の日より昭和二七年六月一五日まで同人が得べかりし賃金相当額の支払を命じた部分を除くその余の部分を取消す。

控訴人のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

控訴代理人は「原判決を取消す。大阪府地方労働委員会昭和二七年(不)第二六号不当労働行為救済命令申立事件につき、被控訴人が昭和二八年四月一日発した命令中、申立人小林治雄同土井政一に関する部分を取消す。訴訟費用は第一、二審共被控訴人の負担とする」との判決を求め、被控訴人は「本件控訴を棄却する。控訴費用は控訴人の負担とする」との判決を求めた。

当事者双方の事実上の主張は、控訴代理人において左記第一に掲げるとおりの主張をし、被控訴委員会代表者において同じく第二記載の答弁をしたほか、原判決事実摘示と同一であるからこれをここに引用する。

第一控訴人の主張

(一)  本件解雇の一般的態様について、

(1)  控訴会社は昭和二七年三月初頃経営合理化の最後の手段として、従来圧延機八台の稼働であつたのを五台の稼働に縮少することとし、これを前提とする新定員表を作成したのであつて、右の新定員表によれば当時控訴会社の従業員は職員たる従業員を含めて一七二九名であつたのを、職員三六名工員三八〇名計四一六名を整理するにあつた。ところがその後さらに構想を変え、主力事業である製鈑課中圧延及び精整は重筋高熱作業であり毎月自然減少があるので、右二部門の工員は長期欠勤者ならびに特に作業成績不良者以外は整理の対象から除外する一方、同課の整備係については、当初新定員を一五名として余剰員八名を整理する予定であつたが、食堂及び脱衣場番人を厚生課に担当せしめることに変更したので、右の八名を上廻る一四名を第三回目の七月四日に解雇したのである。なお製罐課の存続については新定員表を作成する当初から種々論議があり、一応当時の松原主任の意見を容れて三三名中一割にあたる三名を減少の上これを存続することにしたが、その後さらに市況が悪化して赤字生産が累積し、殊に圧延機の稼働を五台にした結果主原料たるシートバーエンドの見とおしがたたなくなつたので、六月一五日の第二回整理の際残りの三〇名の全員解雇による工場閉鎖を断行するに至つたものである。このようにして、結局三回にわたり三三〇名の整理解雇を行つたのであつて、右は当初作成した新定員表どおりではないが、控訴会社が経営上の苦境を乗切るためこの程度の解雇は真にやむを得なかつたのである。

(2)  かくして全従業員一七二九名中三三〇名が解雇されたのであつて、その比率は二割弱にあたるが、当時淀川製鋼所労働組合の役員としては組合長一名、副組合長二名、書記長会計監査各一名、執行委員九名、職場委員三七名の計五三名であつて、このうち解雇されたのは執行委員木村忠蔵ほか職場委員一〇名(うち一名は希望退職)であつて、これが被解雇者に対する比率は三分三厘、組合役員数との比率でも二割弱にすぎず、このことからしても、本件解雇が組合断圧の如き意思に出たものでない事実を知ることができる。

(二)  土井政一関係について。

(1)  被控訴委員会は土井政一に対する本件解雇を不当労働行為に該当するとして、同人を原職または原職と同等の職に復帰せしめ、かつ復帰まで賃金相当の金員を支払うべきことを控訴人に命じた。しかしながらかりに土井に対する右の解雇が不当労働行為に該当するとしても、被控訴委員会のなした右救済命令中、原職またはこれと同等の職への復帰と土井の勤務していた伸鉄工場閉鎖後の賃金相当額の支払とを命じた部分は、次の理由によつて違法である。

(イ) 被救済利益の欠如

およそ不当労働行為事件として労働者または労働組合が労働委員会による救済をうけるためには、救済をうけるにつき正当の利益がなければならないとともに、申立当時は被救済利益があつても、その後何等かの事由によつてそれが消滅するに至つたときは、その申立は却下を免がれないのである。

たとえば、解雇後に会社が営業不振のため全工場を閉鎖し、全従業員を解雇して解散した場合についてみよう。かかる場合には、全工場の閉鎖ないし解散が組合を壊滅させることを決定的原因とする偽装閉鎖ないし解散と認められ、それ自体不当労働行為と目される特異な事情の存しない限り、たとえ当初の解雇が不当労働行為であつたとしても、もはや原職復帰等を命ずる実益がなく、被救済利益の存しないことは明らかである。本件の場合は右といささか趣を異にし、会社の全工場のうち被救済者の属する工場だけが閉鎖され、該工場の残余の従業員全員が解雇されたというのではあるが、閉鎖工場がたとえ全工場の一部であつても、この閉鎖が真にやむ得ないものであり、残存他工場への配置転換が事実上不可能であることが認められる限りは、当初の被解雇者も工場閉鎖の際に残余の同僚従業員とその運命を共にしていたものと推断すべきはわれわれの経験則に照して疑の余地なく、この意味では全工場閉鎖の場合と何等差別すべき理由はないのである。控訴会社が昭和二七年五月一五日土井を解雇した約一ケ月後にその所属伸鉄工場を閉鎖し、残余の従業員全員を解雇したのは、当時における業界の情勢と控訴会社の経営状態とから観察してまさに必要やむを得ないものであり、労働組合はもとより被解雇者もその必要性を承認して異議なく解雇に応じたものである。そうすると土井に対する五月一五日の解雇がかりに不当労働行為であつたとしても、事後における伸鉄工場の閉鎖と同時に他の残存従業員と同様解雇されていたものと認めるのが当然であり、右の全員解雇にもかかわらず土井がその際特に解雇されずに今日に至つていると認むべき特段の事情は全くないのであるから、本件救済申立事件においては、土井の被救済利益は前記伸鉄工場閉鎖による残存従業員の全員解雇の結果消滅したものといわねばならない。

従つて、その後になされた本件救済命令において、土井の解雇の時から工場閉鎖の時までの賃金相当額の支払を命じるのは格別、原職への復帰とその復帰までの賃金相当額の支払を命じた部分は、被救済利益の不存在を看過した違法のものである。

(ロ) 同僚従業員との保護の不均衡

土井に対する本件救済命令が取消されないとすると、土井は原職またはこれと同等の職への復帰と、工場閉鎖後右復帰までの賃金相当額の支払をうける限度において、伸鉄工場に所属した他の従業員よりも利得をすることになる。すなわち、伸鉄工場に就業していた土井の同僚従業員全部が工場閉鎖と同時に解雇されたこと、及び土井がその一ケ月前に解雇されなかつたとすれば当然右の工場閉鎖の時に他の従業員とその運命を共にしたであろうことは、すでに述べたとおりである。にもかかわらず、たまたま一ケ月前に解雇され、これを不当労働行為として救済を求めたがために、自分一人だけが復職し、かつ復職までの賃金相当額の支払をうけることになるわけであつて、かような不均衡不公平が不当労働行為救済の名において許されてよいものであろうか。労働委員会のなす不当労働行為の救済命令は行政庁のなす一種の裁判であつて、正義公平の理念をもつて根本基調となすべきことは裁判所の行う裁判と異るところがないのであるから、たまたま同僚より一ケ月前に解雇されこれが救済を申立てたという偶然的事情のため、同僚従業員よりも優位に立つことを得るが如き結果を招来する救済命令は、右の根本理念に反するとともに、被解雇者の保護の限界を逸脱するものであつて、この点からも違法と断ずべきである。

(2)  さらに、本件救済命令には、その「認定した事実」中に土井に対する解雇の一ケ月後に伸鉄工場の廃止による全員解雇の事実の認定を欠く形式的違法がある。本来不当労働行為救済申立事件においては、単に不当労働行為の存否の確認的判断にとどまらず、救済の全部認容か一部認容かの形成的判断をも必要とするのであつて、これらの判断が労働組合法第二七条第四項の認定した事実に基いてなさるべきは、同条の規定の趣旨からして明瞭である。而して、前記伸鉄工場廃止の事実が土井に対する救済命令の主文内容に重大な影響を有することは上述のとおりであるので、被控訴委員会が本件救済命令にかかる重要な事実の認定を遺脱したことは、明らかに労働組合法第二七条第四項の違反であり、取消を免がれない。

(三)  小林治雄関係について。

(1)  小林の配置転換について、

控訴会社の倉庫課の倉庫は、その主力製品である薄鈑の納付保管を掌る重要な部門であり、従つてこれが受払については常に倉庫課の職員が担当している。これに対し、昭和二六年九月製鈑課内に設けられた倉庫は単純な物品置場の程度を出でず、そこでの仕事は消耗品等を保管し、これを工員に伝票と引換に交付するだけのもので、半年後の昭和二七年三月頃にはすでに廃止されたのであつて、控訴会社の生産活動に是非必要なものではなかつた。そして右物品置場に配置転換された小林外二名は決して成績優秀のために配転されたのではなく、物品置場の仕事より機械整備の仕事の方が重要であるが故に、そうした標準に基いて配転されたのである。従つてもし機械整備の係に整理がある場合には、右三名は当然その中にいれられることが当時から定まつていたといつても過言ではない。小林は右の配置転換を希望しなかつたが(この点からみても、機械整備の仕事が物品置場の仕事よりも重要性を有することを知ることができる)、同人には仕事の積極性も協同性もなく、機械整備の仕事にはむしろ不要の人物であつたため、上司である西口、長谷部、飯島等の一致した意見により、右の配置転換をみるに至つたのである。

(2)  小林の組合活動について、

淀川製鋼所労働組合にあつて、機械整備は組合活動の活発な部門ではなく、小林自身も大して組合活動をした者ではない。かりに同人に若干の組合活動の事実があつたとしても、それは同僚や上司の注意をひくようなものではなかつた。もし被控訴人の主張するように、小林が活溌な組合活働者であつたとすれば、昭和二三年雇傭せられた同人の存在が総務課(労務担当)に知られずにいるはずはないのにかかわらず、昭和二七年五月一二日のいわゆる車座事件の起るまで、総務課長代理岩佐恒造において小林の存在も人物も全く知らなかつたという事実からしても、右のことは明らかであろう。要するに小林の解雇は、昭和二六年九月までの同人の作業成績やその後の成績に基くものであつて、組合活動の如きは本件解雇に全く無関係であるか、少くともその決定的原因ではない。

第二被控訴人の答弁

(1)  まず土井について原職復帰を命じたのは、伸鉄工場の廃止による原職喪失の事実の認定を欠いたため、救済の範囲を逸脱したのではないかとの点であるが、被控訴委員会は本件不当労働行為救済申立事件の審査の過程において、伸鉄工場が廃止され原職がなくなつたことが認められたが、「原職または原職と同等の職」への復帰を命ずることの可能性のあることが審問における関係者の証言等に徴し判断せられたので、原職復帰をも命じたものであつて、事実の認定を欠いたがためのものではない。而して労働委員会は、不当労働行為に対する救済を命ずるに当つて諸般の事情を勘案し、より有効な履行方法を示すことが目的実現のため自由裁量として認められているのであつて、後述の如く伸鉄工場廃止の事実が救済の可否範囲を左右するものでない以上、その事実の認定、表示をまつまでもなく実質上これを勘案して前記の如き判断をしたことは何等違法ではない。右主文形成の事由につき命令書に説明を記載しなかつたことも別に救済命令を違法とするものではない。

(2)  また控訴人は、土井の技術は原職以外の職場には使用することができず、従つて同人を原職に復帰させることは実現不可能のことを命じたものであるという。しかしながら、原状回復について本人の技術をできるだけ活用させることもその一つの要素ではあるけれども、他の賃金、労働の強度等についても全く同等取扱が不可能という事実が存在しない以上、技術の点は別として原職同等の取扱をすることは、使用者の責任と誠意により履行可能であると考えるのが通常である。従つて技術不適の点のみをもつて実現不能とする控訴人の主張は首肯できない。

(3)  さらに控訴人の主張する伸鉄工場の他の従業員との保護の不均衡という点であるが、労働組合法第七条第一号の規定する不利益取扱というのは、解雇等のことがなければその者に附与されていたであろう待遇との比較におけるる不利益な取扱の意味であつて、これに違反した使用者に対しそのような不利益取扱の排除を求めることが、不当労働行為救済制度の本旨であり、かく解してはじめてその実効性が確保されるのである。本件の場合についてみるに、控訴人主張の如く伸鉄工場の廃止に伴い土井の原職はなくなつているとしても、右伸鉄工場は控訴会社の一事業部門にすぎず同会社の事業そのものはなお存続しているのであるから、前述の意味において、伸鉄工場の全従業員の解雇にかかわらず土井に対する不利益取扱を排除することすなわち雇傭関係の復活と賃金相当額の遡及支払を命ずることは決して不可能を強いるものではないのである。なお、土井につき右の如き救済を命じたことは、伸鉄工場の他の従業員に比し結果的に有利な扱いをした如くであるが、これは相対的優遇であつて絶対的には原状に復帰したにすぎず、何等特別の優遇をしたものではない。事業会社における職務分掌の変更、定員の増減等は一応使用者の自由に委されるところであるから、そのような使用者の意思による変更によつて原職が失われた場合、控訴人主張の如く単に遡及支払を命ずるのみで爾後の雇傭関係が絶ち切られるとすると、不当労働行為救済制度の意義は大いに損われるであろう。

(4)  控訴会社の伸鉄工場が昭和二七年六月一五日に閉鎖され、その後今日まで再開されていないことは認める。

証拠<省略>

理由

一、控訴会社は、昭和一〇年一月設立された薄鋼鈑(以下薄鈑という)等の製造販売を目的とする会社であつて、肩書地に本社工場を有し、その従業員は淀川製鋼所労働組合(以下組合という)を結成しており、小林治雄は昭和二三年一二月控訴会社の製鈑課整備係に、土井政一は同年一月同じく製罐課の伸鉄部に各工員として採用され、以来右組合の組合員であつたところ、土井は右伸鉄工場の作業に従事中昭和二七年五月一五日、小林は前記整備係において機械整備の仕事に従事中同年七月四日、いずれも控訴会社の企業整理に際して解雇の通告をうけた。そこで小林は同年七月九日、土井は同月二二日それぞれ右解雇を同人等の組合活動を理由とする不当労働行為であるとして被控訴委員会に救済を申立て、被控訴委員会は審査の結果、控訴会社の右各解雇は小林土井等の組合活動を理由とする不当労働行為であると認め、昭和二八年四月一日付で控訴会社に対し、同人等を原職に復帰させ、かつ解雇から復帰までの期間同人等の得べかりし賃金に相当する金額を支払うよう命令した。その命令書に被控訴委員会の判断として記載されているところは、原判決末尾添附の別紙のとおりである。

以上の事実は当事者間に争がない。

二、控訴人の本件救済命令の形式的違法の主張について。

控訴人は、右命令書に記載された被控訴委員会の認定ないし判断について、(1)本件救済命令申立事件において、控訴人が整理基準該当事項として主張しかつ立証した事実に判断を与えていないこと、(2)整理基準に該当しないことは直ちに解雇を不当労働行為とするものではなく、差別的意思が問題であるのに、これがあつたか否かの判断を与えていないこと、(3)何が解雇の決定的原因であつたかの判断をしていないこと及び(4)土井政一に対する救済命令の内容に重要な関係を有する控訴会社の伸鉄工場閉鎖による全員解雇の事実の認定を欠きしかも右の全員解雇にもかかわらず、あえて原職復帰の命令をしたことについて、命令書に何等の理由が示されていないことなどを挙げて、本件救済命令の形式的違法を主張する。しかしながら、これらの点については当審もまた原審と同様右の主張を排斥するものであつて、その理由は原判決の説示するところ(原判決二〇枚目裏一一行目から二一枚目裏七行目まで)と同一であるから、これをここに引用する。

三、そこで、すすんで控訴会社の小林治雄土井政一に対する解雇が、はたして被控訴委員会の判断したとおり、同人等が組合活動をしたことを理由とする不当解雇であつたかどうかについて検討することとする。

(一)  控訴会社の企業整備の必要性及びその実施状況

控訴会社では、昭和二五年六月朝鮮事変勃発の余波をうけてその営業成績は比較的好調を示していたが、翌二六年七月頃には鉄鋼界が不況となり、薄鈑の値段も下向を辿るに及んでその経理状況が漸次悪化したので、会社は同年末頃から従業員の人員構成を適正にすべく配置転換を行い、経費節減のための方策を講じて来た。しかし業界の不況はさらに深刻化を加え、操業の短縮をも考慮せねばならない段階に追込まれたが、会社は人員整理を避けるため、昭和二七年三月頃社宅賃貸料の増額、通勤費会社負担額の軽減、結婚資金支給割の改訂、厚生費の切下等を行い、四月には五百円の能率給の削減を実施するなど、種々の対策を講ずるとともに、さらに週二、三回の命休制をも試みて懸命の努力を重ねたが、情勢は日々に悪化して経営が危機に直面する虞を生じたので、ついに最後の手段として相当大量の人員整理を断行するのやむなきに至つた。かくて会社は、昭和二七年四月七日頃従来使用していた圧延機八台を五台とする操短を行い、これに伴つて当時の実在従業員数一、七二九名を一、三一三名に縮少する新定員表を作成し、剰員四一六名を整理することとしたが、圧延精整の部門には毎月相当数の自然退職者のあることを勘案して、その後この部門を整理の対象から除外し、結局整理人員を三三〇名と定め、これが整理基準を次のように決定した。

(1)  長期欠勤者

(2)  労働能率の低い者

(3)  懲戒処分を受けた者

(4)  定員制の実施による課別均衡の是正による配置転換不可能の者

(5)  希望退職者

(6)  以上の五項目に該当しなくとも、総合的に低成績者で常に業務上の指示に協力せず、職場能率を阻害する者及び責任度と誠意を欠く者

そこで会社では、以上の基準に基いて浜田専務が各課長を集めて被解雇者の詮衡に当らせ、各課長は現場の役付(係長、伍長または職場の責任者等)の意見を徴した上、基準該当者を序列を付して総務課に内申し、総務課でこれをとりまとめ、浜田専務の決済を経て、同年五月一五日第一次整理として一五一名、六月一五日製罐課伸鉄工場の閉鎖を伴う第二次整理として九〇名、さらに七月四日第三次整理として八九名を就業規則第三六条第一号の「事業縮少又は事業上の都合による」に基きそれぞれ解雇した。

以上の事実は、成立に争なき甲第一号証、原審証人岩佐恒造同上田知作同松原一夫、原審ならびに当審(当審は第一、二回)における証人片野養蔵の各証言、右片野の証言により真正に成立したものと認むべき甲第一三号証の一、二第一八号証の一ないし三第一九号証等によつて認められる。

(二)  小林治雄関係について

(イ)  小林治雄は昭和二七年七月四日の第三次整理において、整理基準(2)(3)(4)及び(6)に該当する者として解雇されたのであるが、同人が右基準(3)の正規の手続による懲戒処分をうけた者というには当らず、しかも本件人員整理において懲戒処分をうけた者というだけで解雇になつた者は一人もいなかつたことは、原審における証人岩佐恒造同片野養蔵の証言及び本件口頭弁論の全趣旨に徴して明らかでありまた基準(4)はむしろ第二次的な意味しかもたないものであること、後に土井政一の関係について説示するとおりである。従つて控訴人の主張する上叙四項目の基準のうち小林の解雇について重要なのは(2)及び(6)であつたと考えられるので、小林が右整理基準に該当したかどうかについて考えてみる。

(ロ)  成立に争のない乙第一号証の四、五、六のうち鎗水澄雄久米幸朔長谷部万吉の陳述速記、原審証人久米幸朔長谷部万吉静間宗雄、当審証人西口省吾片野養蔵、原審ならびに当審における証人上田知作の各証言及び前出甲第一八号証の一ないし三第一九号証を総合すれば、小林の属していた製鈑課整備係には当時二三名の従業員がおり、小林ほか八名は機械整備の仕事に従事していたが、今回の整理によつて九名を五名に減員することになつたため四名剰員となり、右九名中小林の成績は下位から二、三番目ということで基準該当者とされたこと、機械整備の仕事はその性質上二、三名ないし三、四名が組になつて仕事をする場合が多いのであるが、小林は正規の休けい時間でないのに同僚工員とともに仕事を休んで煙草を吸つたりしていることが間々あり、口数が多く、仕事をするについても命ぜられたとおり素直にするという風でなかつたので、これらの点が、協調性に乏しく従順性積極性を欠き、仕事に不真面目であるなどの評価をうけ前記の如き成績順位とされたものであることが認められる。しかしながら、一方乙第一号証の一、二及び一二中の星出哲夫池田宇之助小西善吉鴛田新太郎の陳述速記、前顕久米、鎗水等の陳述速記ならびに原審証人奥谷計次曽我藤道久米幸朔の証言などによつて認められるように、仕事が一段落した際に一休みして煙草を吸うことは当時本件工場で一般に行われており、従業員も監督者も殊更ら咎めだてをする程には考えていなかつたこと、同僚工員の目からみると小林は相当よく仕事をし、特に怠けたり協調性に乏しかつたという点はなかつたことなどに、原審ならびに当審における証人小林治雄の証言を合わせ考えると、会社側の小林に対する前記評価にはこれを全面的には納得し難いところがあるのであつて、しからば何が故に小林がかかる不利な評価をうけて解雇されるに至つたかをさらに探究すると、次に挙げる浜田専務工場巡視の際におけるいわゆる車座事件が大きく浮び上がつて来るのである。すなわち、原審ならびに当審における証人岩佐恒造の証言によると、昭和二七年五月一二日会社の浜田専務が総務課長代理岩佐恒造を伴つて製鈑工場を巡視した際、小林が同僚の小西善吉奥谷計次星出哲夫新徳幹夫等と仕事を休んでいるのを右岩佐が認め、注意を与えて立去つたが、専務巡視中のことでもあつたので同課長代理がしばらくして様子をたしかめるべく中途から引返してきてみると、五名の者はまだ仕事にかからず煙草を吸つており(岩佐は五名が車座になつて煙草を吸つていたといい、ここから俗に車座事件と呼ばれている)、岩佐がそれを叱責したところ、小林がそんなにがみがみいわなくともよいではないかと言葉を返したこと、同課長代理は右の件を直ちに製鈑課長代理上田知作及び同課の人事係静間宗雄に告げるとともに、翌日改めて右五名を総務課に招致して始末書の提出を求めたが、小林はその時もこれを拒否したので、同課長代理が憤激して懲戒解雇に付するとまで極言し、その場は対立のままわかれたが、その後組合幹部のとりなしにより譴責処分にするということで(右の処分は正式になされずに終つた)一応納まつたことなどが認められる。

さて、右の事件における小林の言動が岩佐課長代理の気持を甚だしく損ねたことは同人がその場で懲戒解雇に付する旨を口走つている点からしてもこれを推測するに難くなく、それがたまたま会社で人員整理を行うべく該当者選衡中に起きた事件でもあり、前記鎗水、長谷部等の証言中に、小林を低成績者と認めた理由として、同人が勤務時間中に仕事を休んで煙草を吸つたりする点を特に強調していることなどから考えると、小林は元来機械整備の九名のうちではさして成績優秀というのではなく、ほぼその中位にあつたところ(この点は甲第一四号証によつて認められる)、右の車座事件が大いに影響してその成績が前記の如く評価されるに至つたものと認めてほぼ誤りがないと判断される。他に右認定を覆えすに足る有力な反対証拠はない。

(ハ)  被控訴委員会は命令書中において小林の本件解雇は同人の組合活動のためになされたものであると認定し、前記星出哲夫鴛田新太郎等の陳述速記と原審証人曽我藤道巣張秀良の各証言によれば、小林はかつて組合の職場委員または職場闘争委員に選ばれたことがあり、本件解雇当時も整備係選出の職場委員をしていたことが明らかであつて、右証人等は小林が右の委員として相当活動していた旨を証言陳述しているが、他方当審における証人小西善吉の証言によると、製鈑課の機械整備は全体として組合活動があまり活溌でなく一般について行くというような状態であつたことが認められ、これと前記静間宗雄、長谷部万吉等の証言とを総合するときは、上叙小林の組合活動が特に会社の注意をひき、会社が本件人員整理に当つて同人を組合活動の故に排除しようとしたとの点はこれを認めるに十分でない。

もつとも、組合は昭和二五年一〇月のいわゆるレツド・パージによつて役員等の活動分子が大量解雇されてから著しく弱体化し、執行部が軟弱となり、昭和二六年の飯尾製鈑課長転任反対運動、昭和二七年初頭における厚生費切下反対闘争等でも、当初は会社と対立していたが、結末は会社側に同調してしまつたこと、このような執行部の態度に対して組合の下部から批判がおこり、組合の職場会議等において執行部の攻撃鞭韃が行われるようになり、こうした組合の動きに対して会社が関心を抱き組合幹部の選出に介入したり、組合員個々の言動に注意を示したりすることもあつた事実が、原審証人白井芳雄及び前記巣張秀良の証言によつて推知される。従つて、本件における不当労働行為の成否の認定に当つては、右のような会社の態度もこれを無視することはできないこともちろんであるけれども、小林関係について上来認定してきた諸事実から考えると、右の事実を考慮に入れてもなお本件小林の解雇の決定的原因が同人の組合活動にあつたとすることは困難であり、それはむしろ小林の成績に対するさきに認定したような会社側の評価に基くものというべく、かりに右の評価に多少苛酷の嫌があつて、かかる評価に基く解雇が不当視されるとしても、それが組合活動を理由とするものでないこと叙上のとおりである以上、これを目して不当労働行為だとすることはできない。

(三)  土井政一関係について

(イ)  土井政一は昭和二七年五月一五日の第一次整理において解雇されたのであつて、会社は同人の解雇原因を、配置転換不能者として整理基準(4)に該当すると認めたからであるという。

土井は伸鉄工場における熟練工であつて、同工場の仕事については成績極めて優秀であつたが、それだけに同人の技倆はこれを他の部門には活用し難く、しかも当時控訴会社の本社工場における人員整理状況からみて、各部門とも他部門からの配置かえをうけ入れ得る余地は全くなかつた。このことは乙第一号証の二、七及び一二のうち本藤一松原一夫菅原亀一の陳述速記と、原審証人山内勉同松原一夫同岩佐恒造、原審ならびに当審における証人片野養蔵(当審は第一、二回)同土井政一の各証言とによつて認められるので、土井の伸鉄工場以外への配置転換は事実上不可能の状況にあつたことがほぼ明らかだといつてよい。しかしながら、「配置転換不可能」という基準は、まずその者を現在の部署から剰員として排除することが決定された後に適用すべき、いわば第二次的な基準とみるべきであつて、その前提として、土井を伸鉄工場の剰員と認めて同人を排除することにした理由が何であるかがより根本的な問題となるわけである。ところが土井については控訴会社の設けた他の整理基準該当の点が認め難く、一方同人が組合の職場委員または闘争委員として相当活発な組合活動を行つており、直属の上司であつた松原一夫もよくこのことを知つていて、土井に対し組合活動をやめるよう再三注意を与えていたなどの事実が明らかであつて、これらの事情を彼此検討するときは、当裁判所もまた土井の解雇されるに至つたのは、同人の組合活動が主原因をなしているものと認めざるを得ない。その詳細の理由は原判決(原判決三五枚目裏一三行目から三八枚目裏一行目まで)に逐一説明されたところと同一であるから、これを引用する。当審における証拠調べの結果によるも右の認定を左右するに足らない。そうすると、土井の解雇は、同人の正当な組合活動の故になされた不利益処遇として、労働組合法第七条第一号の不当労働行為に該当するものというべきである。

(ロ)  ところで、土井の属していた前記伸鉄工場が昭和二七年六月一五日閉鎖され、その後今日に至るまで再開されていないことは当事者間に争がなく、前記証人松原一夫、片野養蔵の証言、同証言により真正に成立したものと認むべき甲第一一号証によると、右伸鉄工場は控訴会社の主製品たる薄鈑の製造によつて生ずる派生品を利用して棒鋼を作る作業等をしていたのであるが、上叙の如き圧延機の稼働減少で材料が不足したのと、鉄鋼界の不況により採算がとれなくなつたためこれを閉鎖するのやむなきに至つたのであつて、右の閉鎖に伴い同工場の残存工員全員が解雇となつた事実を認めることができる。

控訴人は、土井に対する本件解雇がたとえ同人の組合活動を理由としてなされた不当解雇であつたとしても、事後における右伸鉄工場の閉鎖に伴う全員解雇によつて、土井の被救済利益は失われたものであると主張するので考えてみるに、不当労働行為たる解雇に対して与えられる労働委員会の救済命令(原職復帰等)は、その不当解雇によつて生じた結果を排除し、当該解雇がなかつたのと同一の状態を回復させることを本来の使命とするものであるとともに、またその限度にとどまるべきものたることも当然であるから、不当解雇がなされた後に被解雇者の従業員たる地位(その解雇がなかつたとしての)に何等か変動を及ぼすような事実が生じているときは、救済命令を与えるに当つてこれを無視し得ない場合のあることもとよりそのところといわねばならない。たとえば問題の解雇の後に、会社が営業不振のためその事業を廃止または休止して全従業員を解雇してしまつており当初の解雇がなされずに被解雇者がそのまま従業員たる地位にとどまつていたとしても、後の全員解雇によつて他の従業員とともに当然解雇されていたものと認められる如き場合には、その救済命令の内容は、被解雇者が、後の全員解雇の日まで従業員たる地位にあつたものとして取扱うべきことを使用者に命ずるをもつて足り、かつその限度にとどまるべきであろう。これを救済命令申立人たる被解雇者の側からみると、当初の解雇がたとえ不当労働行為であつたとしても、その後は上述の如き事由が発生するに至つたときは、もはや当初に遡つて原職復帰を述める正当の利益がなくなつたものというべきである。もしかかる場合も、解雇のときに遡つて原職に復帰せしむべきものとすると、不当労働行為によつて解雇されていたがために、かえつて解雇されなかつた他の従業員よりも有利な取扱をうける結果になるのであつて、不当労働行為の救済制度がこのようなものであつてよい筈はない。

さて本件の土井の場合は上叙の事例とは少しく趣を異にし、会社は依然その事業を継続しつつ、土井の属していた伸鉄工場だけが閉鎖されたにすぎないのであつて、右伸鉄工場の閉鎖による土井の被救済利益の喪失を論ずるに当つては、その閉鎖の際における土井の他部門への配置転換の可能性の有無が検討されねばならない。ところで土井については、同人に対する五月一五日の本件解雇の際において、すでに他の部門への配置転換の可能性がなかつたことは前段認定のとおりであり、六月一五日の伸鉄工場閉鎖の当時にも右の事情に何等の変化がなかつたことは、右の閉鎖によつて残存工員全員が解雇され、配置転換をうけた者は一人もいなかつた事実及び控訴会社の当時の他部門の人員整理状況に関する前記片野養蔵の証言に照して明らかであるので、右の全員解雇の際に土井一人だけが解雇されずに配置転換をうけたとみるべき特別の事情が存しない以上、他の従業員と運命を同じくして解雇されたものと認めるのが相当である。

(ハ)  さらに、右の工場閉鎖全員解雇によつて土井の被救済利得が失われたというがためには、その際に土井もまた適法に解雇されていたであろうとみられる場合でなければならないのは、すでに述べたとおりであつて、もし何等かの理由によつて右の全員解雇が無効であつたり、あるいはそれ自体が不当労働行為をもつて目さるべきものであつたりするときは、これを除外すべきこというをまたない。しかしながらかかる点については何等の主張立証がない。そうすると、土井については、本件不当解雇がなされなかつたとしても、六月一五日に行われた伸鉄工場の閉鎖に伴う残存従業員全員の解雇の際に同人もまた同様解雇されていたものと推断するのが至当であり、従つて被控訴委員会が右の事情を考慮することなく、同人を当初の解雇の日に遡つて原職に復帰せしめ、かつ伸鉄工場閉鎖後についても賃料相当の金員を支払うべきことを命じたのは、救済命令の正当の範囲を逸脱したものというのほかなく、それはたんに行政処分における裁量の問題に止まらず、被救済利益の欠如を無視した違法の処分といわねばならない。

(ニ)  なおこの点に関して、原審は土井の本件解雇は労働組合法第七条第一号に違反する当然無効のものであり、土井は依然として控訴会社の従業員たる地位を保有するが故に、本件救済命令は控訴会社にはじめからその義務のあることを命じたまでであるとして、右救済命令を是認している。そしてこのように、不当解雇を私法上当然無効と解するか否かは、土井に対する本件救済命令の適否判定の思考過程に若干影響するところがあると思われるので、以下少しくこれについて附言しよう。

まず結論から先にいえば、当裁判所は、現行労働組合法の下において不当労働行為たる解雇を私法上当然無効と解することは、その理由に乏しいものと考える。不当解雇が私法上当然無効のものかどうかを判断するに当つては、勤労者の団結権等を保障した憲法第二八条の規定を無視することができないのはもちろんであり、同条は勤労者の団結権等を単なる自由権として認めたものではなく、それ以上の積極的意味をもつた規定と解すべきであろう。だが、さればといつて、これを一般の私権と同様な具体的権利として保障したものともいえないのであつて、結局のところ、国が、勤労者の団結権等に対する侵害を除去し、労働者が真にこれらの権利を実現し得るような素地環境を作り出すべきことを、国の義務として要請したものと解するのが正しいと考える。そして国は、憲法の右の要請に基いて、個々の立法においこれを具現しているのであつて、不当解雇が私法上無効なりや否やは、これら具体的な法体系全体としての構造及びそれとの関連において、不当解雇を無効とすることの社会的効果などの点から考察さるべきだと思われる。ところで現行労働組合法は、不当解雇を旧労働組合法の如く罰則の対象とすることなく、国の機関たる労働委員会が労使の間に介入することに焦点をおいて、委員会をして不当解雇に対して救済命令を発せしめることにより、使用者による団結権等の侵害を排除するたてまえをとることにしたのである。いいかえれば、旧労働組合法の下では罰則だけでは使用者による不当解雇を防止するに十分でなく、これを私法上も無効とすることによつてはじめてその効果を徹底せしめることができたのであつて、ここに不当解雇を無効とすることの実質的意味があつたわけである。しかるに現行労働組合法は、不当労働行為の救済機関としては労働委員会を第一義的の機関とし、この委員会が労資関係の実体に介入することを本体として不当労働行為を排除するたてまえをとるに至つたのであつて、こうした法制の下においては、それだけでは排除の効果が不十分であり、私法上もこれを無効としなければならぬ必要は失われたものというべきではあるまいか。のみならず、労働委員会への救済命令申立と裁判所に対する無効訴訟との両者の競合を認めるときは、労働委員会と裁判所との判断に矛盾衝突をきたす虞を免がれず、かくの如きは屋上屋を重ね、機構の混乱を招く以外のなにものでもない。

四、結論

以上説明のとおり、当裁判所は、小林治雄の解雇が労働組合法第七条第一号に該当するとしてなされた被控訴委員会の救済命令は全部違法であり、土井政一に対する救済命令中、同人の解雇の日から伸鉄工場が閉鎖された昭和二七年六月一五日までの期間同人が受くべかりし賃金相当の金額の支払を命じた部分を除くその余の部分もまた違法と判断する。

よつて、本件救済命令の取消を求める控訴人の本訴請求は、右違法の部分についてはその理由があり、これを全部排斥した原判決は一部失当たるを免がれない。そこで原判決を変更することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第九六条第九二条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判官 加納実 小石寿夫 千葉実二)

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